食材の虚偽表示問題で、政府はホテルなどの事業者に食品表示を点検する責任者の設置を義務付けることを決めた。百貨店などの業界団体23団体、延べ307業者で虚偽表示があったことが判明。景品表示法を改正し、不当表示をした事業者へ課徴金を科す制度の導入も視野に入れる。食品表示への消費者の信頼が揺らぐなか、取締りの強化で適正表示の徹底を目指す。
政府は消費者庁や農林水産省など関係省庁を集めた食品表示問題に関する会議を開き、食品表示の適正化に向けた対策をまとめた。
まず食品の虚偽表示が生じた原因・背景として事業者のコンプライアンス(法令順守)意識の欠如や行政の監視体制の問題などを挙げた。こうした問題を解決するため、次の通常国会に景表法の改正案を提出して適性表示の徹底を目指す。
一連の虚偽表示では、メニューの作成担当部署と料理担当部署の間で意思疎通が欠けているなど「食品表示に関する管理体制が不明確なケースが多かった」(消費者庁)。このため事業者に表示内容を点検する責任者や部署を置くことを義務付ける。責任者の権限や役割などの具体的な内容は今後詰めていくという。
食品の虚偽表示を防ぐには、食品に対する詳しい知識などが責任者に求められる。事業者にとって責任者育成のコスト負担が増しそうだ。
このほか、消費者庁しか出せない違反業者への措置命令を都道府県も出せるようにするほか、農林水産省などの関係省庁のも景表法に基づく調査権限をもたせる。約500人規模の一般消費者による「食品表示モニター(仮称)」も導入し、事業者への監視や取り締まりを強化していく。
不当表示で景表法に違反した業者への課徴金制度の導入も検討する。ただ算出基準を定めるのが難しいなどの指摘もあり、内閣府の消費者委員会に諮問して検討を進める。
2014.02.06更新
ヘルスケア市場、なぜ拡大?
こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
インテージ(東京都千代田区)は、日常生活で不足しがちな栄養素を補う粒やカプセル、粉末、液体、ゼリー状などの食品やサプリメントの売れ行きを調べている。2012年度の健康食品・サプリメントの市場規模は約1兆4700億円。購入額を年齢別にみると、男女ともに60代がトップで70代が続いた。
潜在性高く
業界推計では、市場規模はここ数年、年3~5%程度ずつ拡大している。インテージによると、「これから購入したい」人を加えた「潜在市場規模」は現在の2倍以上。同社コンサルタントの見山公一さん(38)は「メーカーは複数の成分を入れた製品を発売するなど様々な工夫をしています。人口の高齢化が進む中で、市場規模はさらに拡大するでしょう」と予測する。
「にらんだ通り高齢化が大きな原因」。化粧品や健康食品・サプリメントを取り扱うファンケルの直営店「銀座スクエア」(東京都中央区)で聞いた。
同社ヘルスカンパニニー商品企画部の渡辺理子さん(37)が説明した。美容と健康を気にする女性向け商品の売り上げは同社のサプリメント全体の約15%。例えば、ダイエット効果をうたう「カロリミット」は35~44歳の女性が主なターゲット。働く女性を中心に販売が好調という。
次は、大塚製薬東京本部(東京都港区)。同社製品部の渡辺裕吾さん(41)も女性市場に注目している、と話した。11月に発売したサプリメント「ビタメルト」は水なしで口の中でとけ、ビタミンを手早く吸収できる。30代の働く女性向けに開発した商品だ。「全国のコンビニエンスストアで販売し、新たな健康習慣を提案していきます」
インテージ(東京都千代田区)は、日常生活で不足しがちな栄養素を補う粒やカプセル、粉末、液体、ゼリー状などの食品やサプリメントの売れ行きを調べている。2012年度の健康食品・サプリメントの市場規模は約1兆4700億円。購入額を年齢別にみると、男女ともに60代がトップで70代が続いた。
潜在性高く
業界推計では、市場規模はここ数年、年3~5%程度ずつ拡大している。インテージによると、「これから購入したい」人を加えた「潜在市場規模」は現在の2倍以上。同社コンサルタントの見山公一さん(38)は「メーカーは複数の成分を入れた製品を発売するなど様々な工夫をしています。人口の高齢化が進む中で、市場規模はさらに拡大するでしょう」と予測する。
「にらんだ通り高齢化が大きな原因」。化粧品や健康食品・サプリメントを取り扱うファンケルの直営店「銀座スクエア」(東京都中央区)で聞いた。
同社ヘルスカンパニニー商品企画部の渡辺理子さん(37)が説明した。美容と健康を気にする女性向け商品の売り上げは同社のサプリメント全体の約15%。例えば、ダイエット効果をうたう「カロリミット」は35~44歳の女性が主なターゲット。働く女性を中心に販売が好調という。
次は、大塚製薬東京本部(東京都港区)。同社製品部の渡辺裕吾さん(41)も女性市場に注目している、と話した。11月に発売したサプリメント「ビタメルト」は水なしで口の中でとけ、ビタミンを手早く吸収できる。30代の働く女性向けに開発した商品だ。「全国のコンビニエンスストアで販売し、新たな健康習慣を提案していきます」
投稿者:
2014.02.05更新
こんなときこそ漢方の出番です 気管支喘息
こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
気管支喘息は患者数も多く、なかなか完治にはいたらない厄介な慢性病です。発作が起きると大変苦しく、重症の場合、命にもかかわることもあるため、まず発作時の症状をすみやかに抑える対症療法薬が必要です。
発作時には即効性のある西洋薬があるので、漢方薬の出番はほとんどありません。一方、平常時に発作の頻度を抑える目的で使う薬に関しては、漢方薬が有効な場合が多いので、西洋薬と併用するのが効果的です。
漢方薬は長期に使用しても副作用の危険が少ないので、併用することで結果的に西洋薬の量を減らすことができる上、鼻炎や花粉症などを併発している症例に対して、一つの処方で両方の病気の改善が期待できるメリットがあります。うまくいけば、発作が起こらない状態にまで改善できる場合もあります。
体質や症状にあわせてさまざまな処方がありますが、最もよく使われているのが柴朴湯です。炎症を和らげる小柴胡湯と、せきを鎮める半夏厚朴湯などをあわせた方剤で、これらが一緒に働くことで、発作を抑えるとともに、高ぶる気分を安定させ、気持ちを落ち着かせるのにも役立ちます。
また、体力があまりない人には、補中益気湯を用います。炎症を抑える柴胡のほか、血行を促進する当帰、滋養強壮作用のある人参、胃腸の働きをよくする陳皮や生姜などで構成されており、発作で消耗した体力を回復させて、心身の元気を取り戻す手助けをしてくれます。
気管支喘息は患者数も多く、なかなか完治にはいたらない厄介な慢性病です。発作が起きると大変苦しく、重症の場合、命にもかかわることもあるため、まず発作時の症状をすみやかに抑える対症療法薬が必要です。
発作時には即効性のある西洋薬があるので、漢方薬の出番はほとんどありません。一方、平常時に発作の頻度を抑える目的で使う薬に関しては、漢方薬が有効な場合が多いので、西洋薬と併用するのが効果的です。
漢方薬は長期に使用しても副作用の危険が少ないので、併用することで結果的に西洋薬の量を減らすことができる上、鼻炎や花粉症などを併発している症例に対して、一つの処方で両方の病気の改善が期待できるメリットがあります。うまくいけば、発作が起こらない状態にまで改善できる場合もあります。
体質や症状にあわせてさまざまな処方がありますが、最もよく使われているのが柴朴湯です。炎症を和らげる小柴胡湯と、せきを鎮める半夏厚朴湯などをあわせた方剤で、これらが一緒に働くことで、発作を抑えるとともに、高ぶる気分を安定させ、気持ちを落ち着かせるのにも役立ちます。
また、体力があまりない人には、補中益気湯を用います。炎症を抑える柴胡のほか、血行を促進する当帰、滋養強壮作用のある人参、胃腸の働きをよくする陳皮や生姜などで構成されており、発作で消耗した体力を回復させて、心身の元気を取り戻す手助けをしてくれます。
投稿者:
2014.02.04更新
戦国武将に学ぶ側近術その2
こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
斬新アイデア、信頼獲得~竹中半兵衛
続いては官兵衛に先駆けて秀吉に軍師として仕え、「二兵衛」と並び称された竹中半兵衛(1544~79年)。美濃(岐阜県)に拠点を置く斎藤氏の家臣の家に生まれ、若い頃から十数人で主君の居城(後の岐阜城)を奪うなど軍略の才能発揮した。秀吉の懐刀となった後は、三木城(兵庫県)の兵糧攻めなど数々の作戦の指揮を執った。
「半兵衛は秀吉のやりたいことを読み取り、それが実現するためのプロセスを準備した」と童門氏は指摘する。三木城攻めの途中で半兵衛は病気で亡くなったため、作戦は官兵衛に引き継がれる。しかし、半兵衛が構築したとされる兵糧攻めは、その後も小田原城攻略など秀吉のお気に入りの戦術となった。
「半兵衛は今の企業だったら戦略本部の本部長として活躍したのではないか」と童門氏は見る。
常に気配り、時には直言~石田三成
吏僚として秀吉を支えたのが石田三成(1560~1600)。天下統一に向けた最後の場面で五奉行の一人として辣腕を振るった。
三成には「三杯茶」の逸話がある。子供のころ、修行する寺に秀吉が立ち寄ったとき、お茶の熱さと茶碗の大きさを変えて3度提供すると、秀吉にたいそう気に入られたというもの。できすぎの感はあるが、三成の気配りを示している。
童門氏の著書「石田三成」によれば、三成が秀吉に重んぜられたのは「諫言(かんげん)」にあった。自分が利に合わないと思ったら、秀吉にとっても耳に痛いことも直言した。残念ながら晩年の秀吉は息子・秀頼かわいさのあまり、耳を傾けなかったようだが。
さらに「近江商人を生んだ土地の出身らしく数字に明るかった」(加来氏)。今ならば社長を支える財務担当役員か。しかし、仕えていたトップが会社を去った後の身の振り方は難しそうだ。
斬新アイデア、信頼獲得~竹中半兵衛
続いては官兵衛に先駆けて秀吉に軍師として仕え、「二兵衛」と並び称された竹中半兵衛(1544~79年)。美濃(岐阜県)に拠点を置く斎藤氏の家臣の家に生まれ、若い頃から十数人で主君の居城(後の岐阜城)を奪うなど軍略の才能発揮した。秀吉の懐刀となった後は、三木城(兵庫県)の兵糧攻めなど数々の作戦の指揮を執った。
「半兵衛は秀吉のやりたいことを読み取り、それが実現するためのプロセスを準備した」と童門氏は指摘する。三木城攻めの途中で半兵衛は病気で亡くなったため、作戦は官兵衛に引き継がれる。しかし、半兵衛が構築したとされる兵糧攻めは、その後も小田原城攻略など秀吉のお気に入りの戦術となった。
「半兵衛は今の企業だったら戦略本部の本部長として活躍したのではないか」と童門氏は見る。
常に気配り、時には直言~石田三成
吏僚として秀吉を支えたのが石田三成(1560~1600)。天下統一に向けた最後の場面で五奉行の一人として辣腕を振るった。
三成には「三杯茶」の逸話がある。子供のころ、修行する寺に秀吉が立ち寄ったとき、お茶の熱さと茶碗の大きさを変えて3度提供すると、秀吉にたいそう気に入られたというもの。できすぎの感はあるが、三成の気配りを示している。
童門氏の著書「石田三成」によれば、三成が秀吉に重んぜられたのは「諫言(かんげん)」にあった。自分が利に合わないと思ったら、秀吉にとっても耳に痛いことも直言した。残念ながら晩年の秀吉は息子・秀頼かわいさのあまり、耳を傾けなかったようだが。
さらに「近江商人を生んだ土地の出身らしく数字に明るかった」(加来氏)。今ならば社長を支える財務担当役員か。しかし、仕えていたトップが会社を去った後の身の振り方は難しそうだ。
投稿者:
2014.02.03更新
戦国武将に学ぶ側近術
こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。豊臣秀吉に天下をとらせた希代の軍師、黒田官兵衛の物語である。彼が現代のビジネス社会に生きるなら、どんな「補佐役」になっただろうか。同じく秀吉を支えた竹中半兵衛、石田三成との比較も交えて、戦国武将にみる「側近術」を考察。
主人の考え察知、戦略立案~黒田官兵衛
まず黒田官兵衛(1546~1604)から見てみましょう。播磨(現兵庫県)の小大名、小寺家の家老の家に生まれた官兵衛は、織田信長と毛利輝元の勢力争いに巻き込まれた主家を織田方へと帰順させる。その後、秀吉の軍師として信長亡き後の天下統一の原動力となった。
「黒田官兵衛ー知と情の軍師」(時事通信社)を刊行した作家の童門冬二(86)は、「調略と交渉」に官兵衛の本質があったと見る。すなわち「敵と交渉し、巧みな言説をもって見方にしてしまうこと」だ。それは主家の小寺政職(まさもと)を説得して信長に味方させたことに始まる。
「官兵衛は秀吉の頭脳の中に入り、主人が何を求めているのかをいち早く察知しました」と童門氏。今ならば経営者の考えをいち早くつかんで戦略を立案、一方で競合他社とのM&A交渉に当たる補佐役のイメージか。
官兵衛の仕事で「中国大返し」を最も評価するのが、「黒田官兵衛 軍師の極意」(小学館新書)を出した作家の加来耕三氏(55)。中国大返しとは、備中高松城(岡山県)で毛利と戦っていた秀吉が、本能寺での信長の横死を知り、すぐに敵の明智光秀を討つために京へ戻ったことだ。
自軍はかつての敵方を含む混成部隊であり、信長が死んだのが分かれば裏切る者も出かねない。
「秀吉が信長の敵を討てば天下人となる。そうなれば功名の将は大名に、足軽でも一軍の将になれる、という噂を官兵衛は流した。ピンチをチャンスに変えたわけです」と加来氏は説明する。
現代の企業に当てはめるなら、経営危機のときに起死回生につながる目標をたて、社内のモチベーチョンを高める仕事といえる。市場やライバル企業の動向を的確につかみ、時にはトップをも叱咤(しった)激励するのが官兵衛型の補佐役だ。
今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。豊臣秀吉に天下をとらせた希代の軍師、黒田官兵衛の物語である。彼が現代のビジネス社会に生きるなら、どんな「補佐役」になっただろうか。同じく秀吉を支えた竹中半兵衛、石田三成との比較も交えて、戦国武将にみる「側近術」を考察。
主人の考え察知、戦略立案~黒田官兵衛
まず黒田官兵衛(1546~1604)から見てみましょう。播磨(現兵庫県)の小大名、小寺家の家老の家に生まれた官兵衛は、織田信長と毛利輝元の勢力争いに巻き込まれた主家を織田方へと帰順させる。その後、秀吉の軍師として信長亡き後の天下統一の原動力となった。
「黒田官兵衛ー知と情の軍師」(時事通信社)を刊行した作家の童門冬二(86)は、「調略と交渉」に官兵衛の本質があったと見る。すなわち「敵と交渉し、巧みな言説をもって見方にしてしまうこと」だ。それは主家の小寺政職(まさもと)を説得して信長に味方させたことに始まる。
「官兵衛は秀吉の頭脳の中に入り、主人が何を求めているのかをいち早く察知しました」と童門氏。今ならば経営者の考えをいち早くつかんで戦略を立案、一方で競合他社とのM&A交渉に当たる補佐役のイメージか。
官兵衛の仕事で「中国大返し」を最も評価するのが、「黒田官兵衛 軍師の極意」(小学館新書)を出した作家の加来耕三氏(55)。中国大返しとは、備中高松城(岡山県)で毛利と戦っていた秀吉が、本能寺での信長の横死を知り、すぐに敵の明智光秀を討つために京へ戻ったことだ。
自軍はかつての敵方を含む混成部隊であり、信長が死んだのが分かれば裏切る者も出かねない。
「秀吉が信長の敵を討てば天下人となる。そうなれば功名の将は大名に、足軽でも一軍の将になれる、という噂を官兵衛は流した。ピンチをチャンスに変えたわけです」と加来氏は説明する。
現代の企業に当てはめるなら、経営危機のときに起死回生につながる目標をたて、社内のモチベーチョンを高める仕事といえる。市場やライバル企業の動向を的確につかみ、時にはトップをも叱咤(しった)激励するのが官兵衛型の補佐役だ。
投稿者:
ARTICLE
SEARCH
ARCHIVE
- 2017年09月 (11)
- 2017年08月 (12)
- 2017年07月 (12)
- 2017年06月 (13)
- 2017年05月 (12)
- 2017年04月 (12)
- 2017年03月 (13)
- 2017年02月 (12)
- 2017年01月 (10)
- 2016年12月 (11)
- 2016年11月 (12)
- 2016年10月 (12)
- 2016年09月 (12)
- 2016年08月 (14)
- 2016年07月 (12)
- 2016年06月 (13)
- 2016年05月 (12)
- 2016年04月 (12)
- 2016年03月 (12)
- 2016年02月 (13)
- 2016年01月 (12)
- 2015年12月 (13)
- 2015年11月 (13)
- 2015年10月 (13)
- 2015年09月 (13)
- 2015年08月 (13)
- 2015年07月 (13)
- 2015年06月 (13)
- 2015年05月 (11)
- 2015年04月 (12)
- 2015年03月 (13)
- 2015年02月 (11)
- 2015年01月 (11)
- 2014年12月 (13)
- 2014年11月 (10)
- 2014年10月 (13)
- 2014年09月 (12)
- 2014年08月 (13)
- 2014年07月 (12)
- 2014年06月 (17)
- 2014年05月 (14)
- 2014年04月 (17)
- 2014年03月 (18)
- 2014年02月 (15)
- 2014年01月 (14)
- 2013年12月 (15)
- 2013年11月 (15)
- 2013年10月 (18)
- 2013年09月 (15)
- 2013年08月 (14)
- 2013年07月 (18)
- 2013年06月 (16)
- 2013年05月 (17)
- 2013年04月 (17)
- 2013年03月 (15)
- 2013年02月 (15)
- 2013年01月 (21)
- 2012年12月 (16)
- 2012年11月 (18)
- 2012年10月 (19)
- 2012年09月 (2)
- 2012年08月 (3)