東京の58歳男性が吐露する。「甘え上手な人の方が可愛がられ、手助けしてもらえる。自分で頑張ってしまう人は放っておかれたまに助けを求めても、あなたらしくない、と突き放される。余計に甘えられなくなり、信頼されても親しみにくい存在に」
そうした現実を前に目立った回答は、甘えられない子どもを案じる親心だ。「一人娘にもっと甘えさせたかったと反省しています。甘えていいことも頑張ってやり遂げようとする生き方を見ていると、もっと甘えなさいと言いたくなる」(東京、78歳女性)
息苦しさはどこからくるのだろう。青森の66歳の男性は、いまの日本社会に流れる空気として「甘えが他人への依存とだけ理解され、マイナスの意味ばかり強調されている。」とみる。「信頼関係が築かれてこそ甘えが許されるのに、信頼関係が非常に薄くなっている。ゆとりのない社会には甘えもない」
そこには経済・雇用状況もある、という見方も。「いま、甘え、などと言えば、リストラされてしまう。自立しないと生きていけない時代」(静岡、49再男性)だ、と。
ただ厳しいからこそ、発想の転換をしてみることも必要だろう。兵庫の53歳男性は、甘え、甘えられるのは良好な人間関係が保たれている証拠であり、「仕事上でも、同僚や上司に甘えられるのは実力がある証拠」と書く。「仕事ができない人は、本当の意味で同僚に甘えることすらできないものです」
甘えをめぐる問は、深い。「永遠の課題」(東京、43歳女性)の声もあったが、長年、飼い猫を観察しつつ甘えについて考えてきたという山梨の男性は、こう提案する。「よい悪いではなく、気を許す相手に表すコミュニケーション手段。持ちつ持たれつの良い関係を作ること」がよりよい甘えの構造ではないか、と。