「古里に希望」未来見据え
東京電力福島第一原発の地元の森林組合が原発事故後、20〜30代前半の若手の作業員を正社員として採用し始めた。森林は除染の対象外で、林業再生へのめどは立たないが、数十年先を見越して担い手を育成する狙い。昨年7月に採用された佐藤和幸さん(33)もその一人。避難指示が続く古里・福島県富岡町の山を取り戻す日を夢見ている。
若手採用をはじめたのは双葉地方森林組合。管轄する8町村の森林の多くが避難指示区域内にあり、林業ができるのはいまのところ川内村と広野町だけだ。震災前は日雇い作業員が約80人いたが、震災後は15人に。2014年、若手に来てもらうために地元公務員並みの給与水準で採用することを決め、佐藤さんら2人を採用。天候や季節で仕事量が変動する森林作業での正規雇用は異例という。10人前後の若手採用を目指し、希望者3人と面接した。
「まだ慣れないけれど楽しいですよ」。2月下旬、川内村の工業団地造成地。木材収集運搬者に乗った佐藤さんは手足でレバーやペダルをたくみに操作しながら笑顔を見せた。
祖父と父は富岡町で林業を営み、子供のころから山は遊び場だった。だが、「機械化が進んでいない」と林業を敬遠し、地元の木工所を経て、原発関連の会社に勤めた。
原発事故当時、妻(34)は2人目の子を妊娠中で、郡山市の仮設住宅に身を寄せ、会社も退職。派遣社員や富岡町嘱託職員として町内でのパトロールや放射線量計測などに従事した。佐藤さんにとって「古里の原風景」の山は雑草が伸び、倒木が目に付いた。「手入れしないとだめになる」と危機感を持った。
そんな時、森林組合から誘われ決意した。毎朝5時過ぎに起き、山に通う。富岡町の山には手をつけられないが、今は機械操作や林業経営の基礎を学ぶ時期だと考えている。「10年、20年後の若い世代が福島の林業に希望を持てるよう下地は作りたい」と意気込む。
秋元公夫組合長(68)は「山の仕事は土の整備から木の伐採まで1サイクル50年。林業への行政の対策は後回しになっているが、今のうちに若手を育成しないと立ちいかなくなる」と佐藤さんらの活躍に期待を寄せる。
原発事故当時、妻(34)は2人目の子を妊娠中で、郡山市の仮設住宅に身を寄せ、会社も退職。派遣社員や富岡町嘱託職員として町内でのパトロールや放射線量計測などに従事した。佐藤さんにとって「古里の原風景」の山は雑草が伸び、倒木が目に付いた。「手入れしないとだめになる」と危機感を持った。
そんな時、森林組合から誘われ決意した。毎朝5時過ぎに起き、山に通う。富岡町の山には手をつけられないが、今は機械操作や林業経営の基礎を学ぶ時期だと考えている。「10年、20年後の若い世代が福島の林業に希望を持てるよう下地は作りたい」と意気込む。
秋元公夫組合長(68)は「山の仕事は土の整備から木の伐採まで1サイクル50年。林業への行政の対策は後回しになっているが、今のうちに若手を育成しないと立ちいかなくなる」と佐藤さんらの活躍に期待を寄せる。