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2014.03.24更新

こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
ようやく春の季節になってきました。卒業、入学といった学生生活における別れと出会いの季節は、過去をすっぽり忘れたり、ゆっくり振り返ったり、新天地に胸をときめかせたりする時期でもあります。はるか昔に学業を終えた方、社会人になったばかりの方・・・。学生時代に戻りたいか、聞いてみました。

高校、大学で再び青春

「戻りたい」派が7割近くと、「戻りたくない」派を圧倒した。戻る先の学校は「大学」「高校」を選んだ人が、全回答者の半数近くを占めている。
 義務教育時代の反動か、自主性が重んじられる高校、大学では開放感にひたり、部活、学園祭、バイト、恋愛などと青春を謳歌したくなるものだ。「高校で放課後、友人と一生懸命、文化祭の準備をした。帰路、空腹を我慢できず一杯のラーメンを分け合った。一番楽しかった頃の思い出」(茨城、67歳女性)
 しかし社会に出て自信の不勉強を痛感し、「もったいなかった」と言う人も多い。「英語学科出身なので、職場で英文メールを、ちょっと訳して、などと頼まれるのが苦痛。大学ではバイトと部活に明け暮れず、もっと勉強するべくだった」(東男性)京、25歳女性)「あの時こうしていたら・・・」「いま思えば・・・」と悔やみ続ける人に、活を入れる意見も。「過去の自分を受け入れ、今をいきることが肝要。たられば、を殊更にとり上げるのは日本人の悪い癖」(北海道、54際女性)
 「戻りたくない」先としては「小学校」、「高校」、「中学校」が三つ巴となった。理由は友人や教員との人間関係、勉強面など様々だが、自由解答欄には、いじめや教師のえこひいき、体罰といったつらい思いが多く書かれていた。「昭和30年代の小学校で担任教師は給食費を払えない児童らを罵倒し、付け届けをした金持ちの児童らは大事にした。中間層の私が、えこひいきはやめて、といったら、いじめの標的にされた」(山形、64歳男性)
 再び学生時代を過ごしたいと考える年代としては、昭和40年(1965)から昭和64年(1989、平成元年)までの「昭和後期」を選んだ人が半分。続いて「平成」、戦後から昭和30年代までの「昭和中期」と続いた。戦時中を含む昭和前期は、わずか1%。「爆撃音におびえ続け、小学3年で終戦。休校に絶えきれず、学校に向かったら周りは焼け野原だった」(栃木、77歳女性)。学ぶ場、機会が奪われた無念さは計り知れない。
 一方、戦後の第一次ベビーブーム下に生まれた60歳代の団塊世代は、学級も生徒も多かった。「1学年500人を超え、一体感がなかった」(東京、64歳女性)、「中学時代は24クラスあり、大学予備校も入学試験があった」(兵庫、65歳男性)。人口が多い都市では50〜60人学級もあり、「ベニヤで仕切った講堂や理科の実験室、家庭科実習室などを急造のクラスルームにしていた」(愛知、66歳男性)。
 厳しい競争を勝ち抜き、希望校に入ったが、学生運動に翻弄されてしまった人も。「大学紛争まっただ中の69年に入学。半年間、全学封鎖で通うことさえできなかった」(東京、63歳男性)
 こんな話もある。中学時代に「海軍帰り」という体育教師はスポーツのルールや技術を教えるより、昭和50年代半ばというのに軍隊式の点呼やあいさつの練習に余念がなかった。生徒の指のそろえ方、お辞儀の角度が甘いだけで「馬鹿野郎!」「貴様は・・・」とののしり、ビンタも少なくなかった。時代錯誤の指導に「これが体育?」と納得がいかなかったが、卒業後は同窓生と共通の笑い話になっているという。
 こんな意見もあった。「級友とのケンカ、いじめ、先生の理不尽な言動・・・。それもまた、社会人になる前の貴重な経験。あまりにぬるま湯の学生時代だと、その先にあるもっともっと大変な試練を乗りこえられないかも」(宮城、49歳女性)

投稿者: 松村税務会計事務所

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