こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
斬新アイデア、信頼獲得~竹中半兵衛
続いては官兵衛に先駆けて秀吉に軍師として仕え、「二兵衛」と並び称された竹中半兵衛(1544~79年)。美濃(岐阜県)に拠点を置く斎藤氏の家臣の家に生まれ、若い頃から十数人で主君の居城(後の岐阜城)を奪うなど軍略の才能発揮した。秀吉の懐刀となった後は、三木城(兵庫県)の兵糧攻めなど数々の作戦の指揮を執った。
「半兵衛は秀吉のやりたいことを読み取り、それが実現するためのプロセスを準備した」と童門氏は指摘する。三木城攻めの途中で半兵衛は病気で亡くなったため、作戦は官兵衛に引き継がれる。しかし、半兵衛が構築したとされる兵糧攻めは、その後も小田原城攻略など秀吉のお気に入りの戦術となった。
「半兵衛は今の企業だったら戦略本部の本部長として活躍したのではないか」と童門氏は見る。
常に気配り、時には直言~石田三成
吏僚として秀吉を支えたのが石田三成(1560~1600)。天下統一に向けた最後の場面で五奉行の一人として辣腕を振るった。
三成には「三杯茶」の逸話がある。子供のころ、修行する寺に秀吉が立ち寄ったとき、お茶の熱さと茶碗の大きさを変えて3度提供すると、秀吉にたいそう気に入られたというもの。できすぎの感はあるが、三成の気配りを示している。
童門氏の著書「石田三成」によれば、三成が秀吉に重んぜられたのは「諫言(かんげん)」にあった。自分が利に合わないと思ったら、秀吉にとっても耳に痛いことも直言した。残念ながら晩年の秀吉は息子・秀頼かわいさのあまり、耳を傾けなかったようだが。
さらに「近江商人を生んだ土地の出身らしく数字に明るかった」(加来氏)。今ならば社長を支える財務担当役員か。しかし、仕えていたトップが会社を去った後の身の振り方は難しそうだ。
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