こんにちは北区王子の税理士松村憲です。
今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。豊臣秀吉に天下をとらせた希代の軍師、黒田官兵衛の物語である。彼が現代のビジネス社会に生きるなら、どんな「補佐役」になっただろうか。同じく秀吉を支えた竹中半兵衛、石田三成との比較も交えて、戦国武将にみる「側近術」を考察。
主人の考え察知、戦略立案~黒田官兵衛
まず黒田官兵衛(1546~1604)から見てみましょう。播磨(現兵庫県)の小大名、小寺家の家老の家に生まれた官兵衛は、織田信長と毛利輝元の勢力争いに巻き込まれた主家を織田方へと帰順させる。その後、秀吉の軍師として信長亡き後の天下統一の原動力となった。
「黒田官兵衛ー知と情の軍師」(時事通信社)を刊行した作家の童門冬二(86)は、「調略と交渉」に官兵衛の本質があったと見る。すなわち「敵と交渉し、巧みな言説をもって見方にしてしまうこと」だ。それは主家の小寺政職(まさもと)を説得して信長に味方させたことに始まる。
「官兵衛は秀吉の頭脳の中に入り、主人が何を求めているのかをいち早く察知しました」と童門氏。今ならば経営者の考えをいち早くつかんで戦略を立案、一方で競合他社とのM&A交渉に当たる補佐役のイメージか。
官兵衛の仕事で「中国大返し」を最も評価するのが、「黒田官兵衛 軍師の極意」(小学館新書)を出した作家の加来耕三氏(55)。中国大返しとは、備中高松城(岡山県)で毛利と戦っていた秀吉が、本能寺での信長の横死を知り、すぐに敵の明智光秀を討つために京へ戻ったことだ。
自軍はかつての敵方を含む混成部隊であり、信長が死んだのが分かれば裏切る者も出かねない。
「秀吉が信長の敵を討てば天下人となる。そうなれば功名の将は大名に、足軽でも一軍の将になれる、という噂を官兵衛は流した。ピンチをチャンスに変えたわけです」と加来氏は説明する。
現代の企業に当てはめるなら、経営危機のときに起死回生につながる目標をたて、社内のモチベーチョンを高める仕事といえる。市場やライバル企業の動向を的確につかみ、時にはトップをも叱咤(しった)激励するのが官兵衛型の補佐役だ。
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